沿革
曹洞宗 全久寺の成り立ち
この地は明治4年、仙台藩主伊達氏の分家で岩出山藩主伊達邦直公の開拓地である。
開拓当時の様子は筆舌に尽くし難くまさに艱難辛苦を乗り越えての命がけの偉業と言っても過言ではない。
そんな中、当寺は明治39年5月8日付の認可を受け中央寺三世三沢松偃師によって曹洞宗中央寺当別説教所として創立、宗門伝道の道を拓いた。
当寺の開基である佐藤孝太郎氏によって郷里の山形県より石田貫道師を迎え教化活動が始まる。
しかし厳しい気候風土の中長くは続かず数年間無住の時代が続く。
その後大正2年春、檀信徒の要請を受け説教所主任として白井絶山師が迎えられる。
大正15年後継住職として本田道功師が養子縁組により迎えられ、最初に本堂新築に着手、時代は貧困を極める中布教教化に専心、初志貫徹しついに昭和4年9月に威風堂々の本堂落慶を見るに至る。
昭和7年7月1日に寺号公称、さらに昭和15年庫裡を新築しここに伽藍の完備を見る。
しかしかねてより計画していた納骨堂の新築を果たせず昭和42年4月病魔に侵され遷化する。
道功師の納骨堂計画案を三世喆應師が受け継ぎ直ぐさま着手。同年11月に竣工する。
その後本堂大改修、大庫院、庫裡新築、山門鐘楼堂建立、自宅新築、法輪閣納骨堂新築等伽藍を一新し、ここに全久寺の美観が整う。
しかし開創百周年という節目を目前に平成9年12月、突然の病魔に侵され世寿わずか66歳にて化を遷す。そのあとを引き継いだ四世應隆師が平成13年9月に開創百周年慶讃大法要を盛大に修行し全久寺物語第2章の幕開けを声高らかに宣言する。
さらに平成の大改修と銘打ち本堂、中門新築、庫裡、大庫院大改修、参道敷設、駐車場造成等の大事業を成し遂げる。
現在お寺を広く開放し様々な活動を通して人づくりに奔走する日々を送る。